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千葉地方裁判所一宮支部 昭和29年(ワ)6号 判決

原告

長谷川貞雄

被告

酒井良一

主文

被告は原告に対し金十五萬六千二百四十円およびこれに対する昭和二十九年一月三十一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を被告、その余を原告の各負担とする。

本判決は原告勝訴の部分に限り原告において金五萬円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

一  千葉県長生郡一宮町東浪見字南釣二九五番地所在、家屋番号同所三七番ノ一、木造瓦葺二階建倉庫建坪一七坪五合二階一五坪(従前の建物)がもと原告の所有であつたこと、被告が昭和二十八年十二月十三日右従前の建物を解体し、その取毀古材をもつて被告の肩書住所地に新建物を建築したこと、これにより従前の建物が滅失するに至つたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  被告は原告が右従前の家屋を訴外長谷川洋に贈与したものであると主張するが、証人長谷川洋(第一回、第二回)の証言中これに添う部分は成立に争いのない甲第一号証、証人長谷川洋(第一回)の証言により真正に成立したものと認める甲第二号証の一、二および原告本人の供述ならびに後段認定の諸事実に比照して措信できず、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

三  よつて被告が従前の建物を解体して持ち去るに至つた事情について考察するに、前記当事者間に争いのない事実に前掲甲第一号証、第二号証の一、二、証人久我武治(第一回、第二回)、長谷川洋(第一回、第二回)、小安一、岩瀬文の各証言(ただし証人長谷川洋の証言については後記措信しない部分を除く)、原告被告各本人尋問の結果を総合すると、

(一)  訴外長谷川洋は原告の長男であり、原告は千葉県長生郡一宮町東浪見字南釣二九五番地に本件従前の建物ほか数棟の家屋を所有してこれに居住し、洋夫婦も同一の屋敷内に同居していたが、原告と洋夫婦とは折合が悪く家庭内に風波が絶えなかつたため、昭和二十七年秋頃親族等の斡旋により原告と洋とが別居する方針が協議されたこと。

(二)  洋は当時市川第一中学校の教官をしており遠路の通勤が困難であつたから東京都江戸川区小岩に敷地を物色し、原告又は親族等の出金を得て家屋を新築することを希望していたが原告が一時これに賛意を表するかに見えながら結局実現に至らず推移するうち、昭和二十七年十一月頃原告は同町東浪見字釣所在、久我武治所有家屋に移転し、原告と洋夫婦とは別居することとなつたこと、

(三)  洋は本件従前の家屋に居住し引き続き市川第一中学校に勤務していたが、居住地に近い学校に転勤することを望んでいたところ、昭和二十八年四月夷隈郡老川中学校へ転勤となつたが、同中学校は一層通勤困難であつて、洋は同中学校の宿直室に単身で起居し、妻とも別居するのやむなきに至り、右の転勤については父である原告が教育関係者に依頼してそのような処分をさせたものと考え原告をうらむところがあつたこと、

(四)  原告は昭和二十八年六月頃従前の家屋の敷地内にあつた建坪六坪余の倉庫を他へ売却したほか同一屋敷内の立木を売却し又は田地に抵当権を設定する等のことがあつたので、洋はこれを不安に思い、その頃原告の妹岩瀬文とともに原告を訪ねて問いただしたところ、原告は洋に対し「従前の建物にお前が住んでやつていればよいではないか」との趣旨を述べたこと、

(五)  原告は昭和二十八年七月頃夷隈郡御宿町六軒町に転居したが、その頃原告と洋とは事実上義絶の状態となり、原告は洋に転居の事実を知らせず、洋は原告の住所をも知らぬ状況となつたこと、

(六)  洋はその妻が美容師の資格をもつているので、夷隈郡大多喜町方面において美容院を開業させたいと考え、一応適当な家屋も見つかりそうであつたので開業資金の調達にせまられていたが、その頃深く考えることもなく本件従前の建物を売却処分してその資金にあてようと決意し昭和二十八年秋頃訴外森某の仲介で被告に対し右家屋の買受けを求めたこと、

(七)  被告は買受けにあたり近隣の者等に尋ねて洋に父(原告)があることを知つたが、その所在を確かめ又は登記簿を閲覧する等のこともせず、洋の言のみによつて右従前の建物が洋の所有であると信じ、結局同年十二月十四日洋と被告との間に本件従前の建物とこれに付属する炊事場とにつき取毀移築を目的とし、代金十四萬円で売買契約が成立し、被告はその頃代金十四萬円を洋に支払つて従前の建物の明渡を受け、同月十五日これを解体したこと、

をそれぞれ認めることができ、証人長谷川洋(第一回、第二回)の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

四  前記事実によれば訴外長谷川洋は従前の建物につきその管理保存行為については代理権を有していたものというべきであるが、売却処分の代理権は有していなかつたものというべく、親がその所有にかかる家屋に子を無償で居住させ、かつ、その管理をさせることは通常行われているところであつて、このことにより原告が洋に従前の建物の売却処分の代理権を与えた旨表示したものということもできない。従つて洋が従前の建物を売却処分したことは代理権踰越行為であるというべく、被告が右建物を洋の所有であると信じたことは同時に洋が原告の代理人であると信じたことと同一であろうが、前記の事情のもとにおいて被告が洋の言と洋が右建物に居住していたという事実のみによつてそのように信じたことは洋に代理権があると信ずべき正当の理由とはならない。けだし被告主張のように当地方において建物が未登記又は先代、先々代の名義のまま放置されていることが多いとしても建物の売買にあたつてその買主たるものはまず登記簿を閲覧してその所有者を確かめ、先代の所有名義であるならばその相続関係を調査し、売主に処分権があるかどうかを検討すべき注意義務あることは否むことができないからである。本件従前の建物が昭和二十七年八月二十三日原告のため所有権保存登記がされていることは前掲甲第一号証によつて認められるところであり、原告はこれによつて従前の建物が自己の所有であることを明示するための手段を尽しているのである。従つて又被告が従前の建物を洋の所有であると信じて買い受けたうえ、これを取り毀し、これによつて原告がその所有権を喪失したことについては被告に過失があつたものであり、原告に過失はなかつたものといわなければならない。

五  被告の右所為により原告は従前の建物の所有権を喪失し、当時の右建物の価格に相当する損害を蒙つたものであるから、被告は原告に対しその損害を賠償すべき義務がある。よつて右従前の建物の取毀当時における価格について考察するに、前記認定の事実に証人久我武治(第一回)の証言により真正に成立したものと認める甲第三、第四号証、証人小安一の証言により真正に成立したものと認める甲第五号証、証人久我武治(第一回、第二回)、小安一、長谷川洋(第一回)の各証言および原告、被告各本人の供述ならびに検証の結果を総合すると本件従前の建物は五、六十年前の建築にかかり、もと草葺の倉庫であつたが大正五、六年頃瓦葺とし、更に昭和十年頃階下のうち九坪に床を設け八畳、三畳の居室および押入、廊下を新設し畳、建具を入れて住家に改造し、原告が昭和二十一年秋頃までこれに居住していたが、以後は無住のまま放置され、前記認定のとおり昭和二十七年十一月頃以降訴外長谷川洋がこれに居住していたものであり、右建物は相当古いうえに原告も洋もその修理手入を殆どしなかつたため土台や柱等が虫害又は腐朽により相当傷んでおり、被告がこれを解体移築する際相当量の新材と取り替えたものであることを認め得るところ、鑑定人吉田勝則の鑑定の結果によると同人はその価格を金三十四萬五千円と評価しているがその理由とするところは従前の建物の使用木材の素材石数を百五十石と見積り、昭和二十八年度の素材価格石当り二千三百円をこれに乗じて算出したものであつて右家屋を昭和二十八年において新築すれば百萬円かかる らその三分の一が売買価格であるというにあり、前記の事情に従い木材の腐朽の程度、家屋耐用年数、各部の素材の新旧等を詳細に考慮のうえ計算したものと認められないから直ちに採用することが困難であるのに対し、鑑定人渡辺貫之の鑑定および同人の証言によると同人は土地家屋調査士としての知識経験にもとづき右の点を詳細に検討したうえ、昭和二十八年十二月現在における従前の建物の経年に伴う残存価格を金十五萬六千二百四十円と評価しし、解体損耗費を残存価格の一〇パーセントとしてこれを差引き、当時における移築を目的とした建物の価格を金十四萬六百十六円と評価しており、当裁判所は後者の鑑定を採用する。もつとも原告は従前の建物が従前の場所に存在する状況においてその所有権を喪失したものであつて、結局解体損耗費を差引かない前の残存価格金十五萬六千二百四十円に相当する損害を蒙つたものといわなければならない。

六  よつて原告の本訴請求は被告に対し金十五萬六千二百四十円およびこれに対する取毀の日の後である昭和二十九年一月三十一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中恒朗)

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